高山島の人々 — 日本人から見る臺湾人
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•台湾歴史博物館 提供 •台湾歴史博物館 提供

日本人と台湾人の間での接触はオランダ、スペインの統治時代前に遡ることができる。例えば1593年、豊臣秀吉が使節を台湾に派遣し、原住民を服従させようとしたが、有名な「豊太閤の新山国勧降状」だけを残し、台湾の原住民についての記録は一切行われなかった。また、清国統治時代には、北海道の船長が台湾の東部に漂着し、文字だけでなく挿絵も付された記録が残された。台湾出兵(牡丹社事件)の前後も、軍人や従軍記者らによって書き記されたテクストがある。そして当然のように、日本統治時代に入ると、さまざまな階級の官僚が台湾で就任し、さまざまな職業の庶民も台湾にやってきた。そのほかにも、日本帝国が新たに領土に治めた植民地には、多くの日本人が短い旅行をしに来た。このように、日本人によって書き記された台湾人に関する創作が相次いで発表された。異なる時期に書き記された日本人による台湾人についての記録は、着眼点をはじめとして角度や内容、評価などがそれぞれ異なっていた。ここからは各時期の日本人によって書き記された台湾原住民、漢民族に関するテクストを展示する。