弱者の抵抗、リアリズム的な記録
字級: S M L

プロレタリアを目指せ、大衆に入れ!

エリートたちと大衆連盟戦線の時代

1920年代中頃から1930年代初頭まで、文芸の大衆化の風潮が起こり、新しい文学思潮と社会主義が結合し、共産主義の追随者と台湾の知識層は再び連盟を結んだ。

しかし、文学観の相違から、台湾の文壇では論争が行われた。1937年の戦時下において、皇民奉公会が主催する大東亜文学会では「糞リアリズム」の議論が行われ、皇民文学の問題が取り上げられ、台日の作家たちの間でも論争が交わされた。帝国側の緊迫した戦線のまっただ中、作家たちの作品も言論統制を受けていた。一部の作家たちは民間生活や郷土風俗という題材に目を向け、『民俗台湾』はそのような作品の発表の場を提供した。戦時下の台湾の文壇では、台湾のエリートたちは郷土文学の調査に着手しはじめ、在台日本人の作家は耽美主義的な作品を書き続け、西川満『媽祖』はその代表的な例になっている。このエリアでは「街の力、文学の水脈」と「静かな島国、人々の表情」をテーマに、1930-1940年までの記録をまとめてみた。台日の作家たちがどのように作品をとおして文学論争を行い、台湾の人々の表情を書き込んだのかを見てみよう。