異郷は故郷になる
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•台湾歴史博物館 提供 •台湾歴史博物館 提供

1945年8月に終戦を迎え、10月に陳儀政府が台湾にやってきた。この時の台湾は言葉や生活習慣などがすでに中国とは非常に異なっており、様々な衝突が、いつ爆発するか分からない爆弾のように人々を恐怖に陥れた。日本語で創作することに慣れた作家たちは、こういった社会の雰囲気では作品を発表する場が限られていて、1946年3月に龍瑛宗が主催して創刊された『中華日報』の日本語文芸欄だけが、そのような作品を掲載する場を提供していた。掲載された作品も題材に限定されず、多種多様であった。しかし、同年の10月に廃刊されることで、このような発表の場もなくなったのだった。1947年二・二八事件が起こり、大勢のエリートたちが被害を受け、日本に避難したが、二度と帰郷できない人々、例えば王育徳、邱永漢などは日本で台湾独立運動を起こし、のちに財政・金融・経済といった事業に従事することになった。その後も戴国煇、張良澤らは台湾文学や歴史といった研究ジャンルを作り出したのだった。