街の力、文学の水脈
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•莊明正 提供 •莊明正 提供

1920 年代中頃から1940 年代まで、製糖会社や退職した日本人官僚、日本企業、台湾人の地主階級および総督府の不正などに対して、台湾の底辺にいたプロレタリアたちはデモを行い、農工社会運動団体の台日農工組織が海を渡り結束して、資本主義の圧迫に抵抗した。

1943 年、台湾文壇では「糞リアリズム」論争が行われており、西川満を始めとする『文芸台湾』では、台湾人作家のリアリズムに「糞」をつけて「糞リアリズム」と軽蔑して、家族の葛藤や陋習などにしか目を向けず、皇民意識が欠けていることを批判している。これに対して、楊逵などの作家たちが声を上げ、皇民文学派の西川満らの論敵となった。その背景には、長い間、台湾人作家が、日本人作家の外地文学論およびロマンチシズムや耽美派の作風に不満があったことと、文学をとおして戦争に協力するというやり方に極力抵抗していたことがあった。この文学論争をとおして、植民地の支配する側と支配される側という文学的立場の相違がはっきりと浮き彫りにされているのだ。