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文助口述、秦貞廉記録『享和三年癸亥漂流台湾チョプラン島之記』、2011年。
本書は、1803年に北海道の函館から出発した商船「順吉丸」が、嵐によって台湾東部のチョプラン島(今の花蓮秀姑巒溪口付近)に漂着したことを描いたものである。船員たちは現地の部落の首領に引き止められたが、相次いで病気で亡くなり、最後は船長の文助だけがその土地で四年間も暮し、最後は再び帰郷の旅に立ち、瑯嶠(今の恆春)、台湾府城(今の台南)、杭州を経て、最後は日本に帰郷した。記録者は秦貞廉であり、彼は文助の口述した異郷での出来事をまとめ、挿絵もあり、現地の原住民の生活ぶりを読者に生き生きと伝えている。中央図書館台湾分館(今の台湾図書館)が2011年に復刻本を出版した。
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芹田騎郎著、張良澤訳『由加利樹林裡:芹田騎郎台灣原住民生活記錄畫冊&小說(ユーカリの林で 芹田騎郎台湾原住民生活記録絵本&小說)』、2000年。
本書は、日本統治時代後期に作者が「台中州能高郡蕃地診療所」(今の南投埔里に位置する)で公医をしていた生涯を、平凡でリアルに描いたものである。この本では、ブヌン族とタイヤル族の生活ぶりと台湾独特の植物・動物も紹介されている。作者の芹田騎郎は、1918年、九州に生まれ、1935年に台湾にやってきた。印刷所では煙草のパッケージのデザインを担当したが、1939年に、内蒙古の派遣部隊に招集され、1943年に除隊され台湾を訪れ、公医に就任した。1948年に日本に帰り、三菱化成株式会社の写真部に就任し、美術の創作をも行い、度々大賞を受賞した。この本は張良澤によって中国語に翻訳され、2000年に前衛出版社から出版された。
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王徳威・黄英哲編纂、涂翠花・蔡建鑫中訳『華麗島の冒險』2010年。
この本には、日本籍の作家が台湾に関して描いた短編小説が一〇編収録されている。作品の発表時期は1924年から2002年に跨がっている。この展示会では、その中の戦後の作品三つが展示されている。日影丈吉(1908〜1991)の「消えた家」においては、日本人を騙す台湾の老人が登場している。大鹿卓(1898〜1959)の「野蛮人」においては、原住民の部落に赴任した若い警察官が現地の文化に好奇心を持ち、ついに憧憬が生まれるまでの経緯が描かれている。坂口䙥子(1914~2007)の「番婦ロポウの話」においては、霧社事件の後に生き残ったサデック族の一人が、ある日本人女性に対してその経歴を語る姿が描かれている。
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湖島克弘著、黃蔡玉珠・孫愛維・鄭誼寧訳『杜聰明與阿片試食官(阿片試食官)』 2001年。
この本は、台湾で一五年も暮らした日本人が戦後、日本に引き上げてから、日本が台湾を統治していたことを反省し、何度も台湾に渡って史料を蒐集しインタビューをしたものが長編小説になったものである。彼は「私はもちろん日本人ですから、台湾統治には批判的な立場ですが、この作品では第三者的立場に立って、 両方のホンネを引き出そうと努力しました」と述べている。この本においては、台湾北部の漢民族社会と、日本が統治してから戦後までの台湾の歴史の発展が描かれ、内容としては日本の阿片の専売制度や霧社事件、二・二八事件などにも言及されており、繊細で生き生きと描いている。
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廖振富選著『在台日人漢詩文集』、2013年。
日本統治時代においては、多くの「内地」漢文詩人が台湾を訪れた。この本では代表的な詩人中村桜渓、籾山衣洲、館森鴻、佐倉孫三、四人の作品が収録されている。多くは当時の台湾の郷土民情を描いており、例えば籾山衣洲「台湾風俗詩」の「粵婦」においては、「箬笠藍衫露跣行,為夫傭役為夫耕。健兒三十何疏懶,喝雉呼盧不入城」という歌が客家人の女性の我慢強い性格と家事に励むを描いている。中村桜渓「城南雑詩」の第一五首の「村嬌一伴自媞媞,春日浣衣沿水西。南國由來麗人出,鯤瀛亦有若耶溪」という歌は、台湾の女性が洗濯する時の可愛い姿を描いている。
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西川満自筆ハンカチ、本館所蔵。西川潤寄贈。
西川満は、1941年7月の『文藝臺灣』第2巻4期において、随筆「古き街への讃歌」を発表した。本文には五段落があり、このハンカチにプリントされているのは第四段落で、西川満の自筆によるものである。台湾の美しくのんびりした古い街の風景が描写されており、緑色の海や目の前の花神廟、たくさん実っている蓮霧の木、ブランコに乗ってきれいなカーブを描く少女の姿などが描かれている。西川満は、日本統治時代における在台内地作家の代表的な人物の一人で、彼の作品では台湾の郷土民情がよく表現されている。作品には詩集『媽祖祭』、小説『赤崁記』、『臺灣縦貫鉄道』があり、また『臺灣風土記』、『華麗島』、『文藝臺灣』等といった雑誌を主宰した。